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ハドソン (自動車) : ミニ英和和英辞書
ハドソン (自動車)[くるま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

自動 : [じどう]
  1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion 
自動車 : [じどうしゃ]
 【名詞】 1. automobile 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

ハドソン (自動車) : ウィキペディア日本語版
ハドソン (自動車)[くるま]

ハドソン・モーター・カー・カンパニー(Hudson Motor Car Company)はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本拠を置いていた自動車メーカーである。
ハドソン、エセックス、テラプレーンなどのブランドで自動車を製造し、1909年から1954年まで独立メーカーとして存続した。1954年にはナッシュ=ケルビネーター・コーポレーションと合併し、アメリカン・モーターズ・コーポレーションとなった。ハドソンの車名は1957年式まで使われた。
==ハドソン設立==

ハドソン・モーター・カーはデトロイトの事業家8人が1909年2月2日〔 Clarence M. Burton, ed., ''The City of Detroit, Michigan, 1701-1922'' (S. J. Clarke Publishing company, 1922), p583 〕に設立した。設立を主導したのはランサム・E・オールズと一緒に働いた経験をもつロイ・D・チェイピン(シニア)であった(ロイ・チェイピン・シニアの子、ロイ・ジュニアは、ハドソン=ナッシュの後継企業であるアメリカン・モーターズで1960年代に社長を務めた)。
社名およびブランドの「ハドソン」はミシガン州デトロイトでハドソンデパートを創業した企業家ジョゼフ・ロウシアン・ハドソン(en)に因んだ名称である。ジョゼフ・ハドソンはこの事業に資金提供するとともに名称使用を許可した。
ハドソン・モーター・カーは、その当初、1900年代後期としては比較的低価格な1000USドル以下で買える自動車の生産を目論んだ。デトロイトの小さな工場で乗用車が完成したのは1909年7月3日であった。真新しい「ハドソン・トゥエンティ(Hudson "Twenty")」は自動車市場での人気を得て初年度に4000台以上を販売し、当時の初年度販売台数を記録した。
ハドソン社は自動車業界における数々の先駆的業績を残している。デュアルブレーキ、ダッシュボード上の油圧警告灯やバッテリー警告灯の採用、初のバランスド・クランクシャフトなどがある。このクランクシャフトを使用したハドソン直列6気筒エンジンを載せた1916年式スーパーシックス("Super Six")は高回転が維持でき、より低速なエンジン搭載車よりも、サイズの割りに滑らかに力を出すことができた。1957年までのハドソン車は、その多くが直列6気筒エンジンを搭載していた。デュアルブレーキでは第二系統が機械式駐車ブレーキだった。ブレーキペダルが第一系統の通常稼動範囲を超えた場合に、機械式緊急ブレーキとして後輪ブレーキを動作させた。ハドソン車のトランスミッションは、湿式(oil bath)のコルク・クラッチ機構で、動作がなめらかで耐久性にも優れていた。
1929年にはハドソン(Hudson)とエセックス(Essex)あわせて年間30万台(含ベルギーイギリス)を生産し最盛期を迎えた。この年ハドソンはフォードシボレーに次いで、米国第三の乗用車メーカーとなった。〔
ハドソン車は、日本では大倉財閥総帥の大倉喜七郎が設立した輸入車ディーラーの日本自動車が代理店となって1910年代から第二次世界大戦直前までに多数を輸入・販売し、性能・品質の良好さも伴って、日本の輸入車市場でのシェアを得た。フォード、シボレーといったタクシー需要主力の大衆車クラスよりも上位にある中級量産車であり、高級ハイヤーやオーナーカーとしての需要があった。自動車製造に参入を目論んだ重工業メーカーがデッドコピー試作の原型とした例(量産化は実現せず)や、トラック主流の自動車メーカーであったヂーゼル自動車工業(後のいすゞ自動車)が乗用車試作の参考とした例など、戦前日本の自動車業界におけるベンチマークの一つにもなっていたことが伺われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハドソン (自動車)」の詳細全文を読む




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